まわしよみ新聞との出会いと実験

 陸奥賢(むつさとし)さんの「まわしよみ新聞をつくろう!」を読みました。私、旅する活動家ちよ子と申します。東京在住で、長野や新潟、岐阜、愛知など主に信越中部地域で、移住と空き家活用をテーマに2年リサーチ活動し、今年1年「移住ソムリエ」として起業、NPOを継承し始動させます。

 この過程で、新潟県長岡市で活躍中の、ながおか史遊会の湯本泰隆さんとご縁ができました。
 東京でメイドさんとまわしよみ新聞をやりたいとご希望を伺ったので、もともと参加している秋葉原の「メイドカフェでノマド会」のオーガナイザー石上さんとお繋ぎし、夏にメイドカフェでノマド会の自習室で「メイドさんとまわしよみ新聞」を企画し、開催しました。

 主催者として、電波新聞、千代田区の区報、秋葉原ご当地フリーペーパー、そして新潟の新聞を準備しました。
 メイドさん含め女性参加者が多く、新聞を読んで切り取る作業は和気藹々。
ひとりひとりが選んだ理由を話すプレゼンタイムでは、記事の面白さと注目した理由に人柄が出ていて聞いてる楽しさ倍増!ピンクと紫の模造紙に配置して感想を書く壁新聞づくりでは、学校の文化祭のノリで、最初から最後まで楽しかったことばかり!石上さんは、電波新聞の記事や広告の面白さに感動し、共感できる皆さんとの盛り上がりが熱かったです。

 普段目にしない読まない、新聞の存在を知る新鮮さ。
自分が意図していない新しい情報を知ることの喜び。ほかの方が何を選び、どこに興味を持ったのか、本人から直接聞ける楽しさ。他者を知るコミュニケーションツールとして、これは素晴らしい!と思ったのが、体験した感想でした。

 その後2回目、秋に長岡の小国和紙でアートをテーマにまわしよみ新聞をオンラインで作ろうというイキナリ無謀なチャレンジ実験をしてみました。

 寛大な参加者皆さんのおかげで、ハプニングと笑いが絶えない面白いものになりました、感謝です。
やってみてわかる、想定と違った課題もたくさん見つかりましたし、次こうすればよいのでは?というアイディアも出てきて、長岡でまわしよみ新聞を広めている湯本さんに託すことも出来ました。

 3回目は「新聞ではなく、Twitterで同じことができるのでは?」と「まわしよみツイッター」をやってみましたが、試行錯誤中です。
 陸奥さんの「まわしよみ新聞」のように。そして日本で初めてパクチーハウスを、東京で初めてコワーキングスペースを始めた、日本で初めてシャルソンを創設した佐谷恭さんのような「楽しい面白いと思った人たちが勝手に自然にやって広まっていく」が理想なのですが、ここまで全く、陸奥さんの御本を読まずに実行していたのです。

 やっと12月、陸奥賢さんの「まわしよみ新聞をつくろう!」の御本を読ませていただきました。

一番最初に考えた人のお話しが一番!

 大事なエッセンスが沢山散りばめられてあるので、読んでいただくのが一番ですが、陸奥さんの御本を読んで良かったというのが正直な感想です。

 陸奥さんは陸奥さんなりに、いろいろな経験を経て、ピースが合わさって「まわしよみ新聞」が出来上がりました。その意図を知らず理解せず、曖昧なまま、独自の解釈で進めたくはなかったので、このタイミングできちんと読めたことは「ありがたい」ことです。

本を読んで改めて気づいたこと。
 ❶出典をきちんと明記すること
まわしよみツイッターの場合は、元記事をリンクしますし、リツイート機能がそもそも「出典者を表示」しているので当然の感覚になっていました。みんなで壁新聞を作るときは、きちんと明記しなければ、ですね。

 ❷小さい記事で驚かせる醍醐味
 新聞は、記事の大小が一目瞭然です。
ネットは、パソコンやスマホから見るのに最適化されて大きさは個人の端末によって一律ですから、見出しだけで判断する必要性があります。
 新聞は、限られた紙面上なので、視覚的に「小さい」ことが明確です。あえてそこに凝縮されている「面白さ」を発掘する、気づいていない他者に知らしめるプレゼン力のようなものを試せる楽しさがあると気づきました。

 ❸ひとつで6つのアクション
 新聞の中のひとつの記事に対して、読む→切る→発表する→聞く→貼る→書くと6回もアクセスして、アクションを起こすので、理解度も発見や新たな気づきも深まります。

 参加者は、話すことが上手な人、どこに貼るか余白をどれだけ残すかデザイン力のある人、カラーペンで綺麗にデコレーションできる人、コメントをシンプルにまとめられる人、イラストや絵が描ける人、どれを活かしてどれを外すか編集力のある人など、手を動かしながら個人の得意を活かせる共同作業の場となっていることが「まわしよみ新聞」の楽しさであると再認識しました。

コモンズとコミュニティとオープンソース?

 まわしよみ新聞を考えた陸奥さんの自己紹介には、こう書いてあります。
観光家であり、社会実験者。経歴には、まち歩き事業や観光、メディア分野で、様々な企画を立て主宰し各賞を受賞。「まわしよみ新聞」では読売教育賞NIE部門最優秀賞を受賞されています。結果、「コモンズ・デザイン・プロジェクトのデザイナー」という活動をされています。

ここで出てくる「コモンズ」って何?です。

 私は、移住ソムリエとして、信越の移住・空き家対策など地域おこし関係、観光課、まちづくり関係、多拠点の働き方、地域での仕事創生に関わる方たちから沢山お話しを伺ってきました。

 気づいたのは、都市部から離れた地域部(中山間地域など)のほうが、人とのつながりが密接で「日常で言語化されずとも自然に触れて出来ている部分」が実は多いです。

 例えば、新潟県中越地域の「よったかり」。
昔は、農作業の合間のお茶とお話しの息抜きタイムですが、今は、シニア、若者、地域に暮らす家族、夫婦、親子の集いの場であり、外国からの観光客や移住を検討中の人、実家に里帰りを考えている都市部住まいの方たちの情報収集と出会い、仕事紹介などの「つながる場」としての機能を大いに果たしているのです。この「よったかり」が都市部には、あるようで無いのではないか?

 逆に、生活に便利な都市部で生活している人たちのほうが「コミュニティ」や「コミュニケーション」を意識し重要視してる気がします。
 都市部に近いコワーキングスペースやゲストハウスやコミュニティカフェでのイベントで「コミュニティづくり」に関する催しや勉強会は多いです。なぜ人が集まるのかといえば、出来ていない、距離を感じている、課題として認識している部分が多いからではないでしょうか。

 私自身も、東京と各地をつなぐコミュニティを創ることを目指していますが、実のところ少人数のグループでさえも、いえ、一対一の夫婦間でさえも「コミュニケーションの難しさ」で日々勉強中で試行錯誤しています。コミュニティ作りや人とのコミュニケーションに日々思案しているところに「コモンズ」とは?です。

 本では最初のほうに書いてありますが、コミュニティとは、何らかの同じ趣味趣向方向性の共同体です。コモンズとは、同じではない、他者が集う場所、共有地を表しています。

 コミュニティですと、共通する「何か」で繋がっている反面、まとめる「熱量のあるカリスマのような人」の人気、人柄、カリスマ性で維持されているところが多いです。トップ交代の時に分裂・解散する可能性が高く、コミュニティ内で資産などがある場合、揉めたりトラブルになる可能性も少なくないです。

 コモンズの場合は、それぞれが共通項はなく「寄りあう場」です。
誰かひとりの利益になるものではない、全体の共有財産「オープンソース」として「まわしよみ新聞」を「いつでも、どこでも、だれでもできるコモンズ・デザイン」として活用しています。

 コミュニティに求められる「課題解決」「皆で一緒に考えよう」は無し。議案も議題も議事もないので、議長もいりません。議論も起こりませんし、議決の必要もありません。

 共有財産である、「まわしよみ新聞」で共に遊ぶ。選んだ新聞の概要を話し、感想を伝える。共感や共鳴が広がる。新聞記事を通して、人と出会い、他者を知る機会となる。対話や会話ではなく、新聞記事について「共に話す・共話」でコミュニケーションをとる機会を体験する。

一気に簡単そう、楽しそうになってきました!

これからの日本に「まわしよみ新聞」

 基本、「まわしよみ新聞」は「ノーテーマ」であり、参加者は全員、同じ回数「話す場」を体験しますので、「発表する主人公になる回数が全員平等である」と考えられていることに感心しました。

 会議やコミュニティでの話し合いは、話す人がいて、司会進行の人、ファシリテーターがいます。一方で、ずっと聞いてるだけで、発言しない人もいます。
しかし、まわしよみ新聞は、参加者全員が、話す場を同じ数だけ与えられているのです。ここで、その人となりが、参加者全員に共有されるので、自分を他者に知っていただくきっかけとなり、交流につながり、体験自体が思い出になるのです。

 育った環境、親御さんの影響が大きいと感じますが、外国人に比べて日本人は、はっきり意見を言わないとよく言われます。

 よく聞くのが親に怒られてばかり「うるさい」「黙れ」であまり話をしなかったので「何考えてるかわからない」と言われ、大人になっても「何が言いたいのかよくわからない」と言われ、仕事などで目的を伝えるのに非常に苦労するケースが多いです。

 自由に好きなことを話したいけど、「話が長い。結果は?」「自分が話したいだけでしょ。今それ必要ある?聞く側のメリットは?」など詰問されると、返答できない。こうなると、コミュニケーションが苦痛になり、積極的に相手と関わろうという意欲も失せてきます。

 そして、今の日本のSNSでは、好きなことを書いても「炎上する」ことを恐れて、自由に発信できません。モラルやマナーの問題ではなく「人格否定」にまで至りそうで躊躇する方も多いです。SNSは、自由に使うツールなのに、SNSを自由に使えない不自由さばかり目立っています。

 しかし、まわしよみ新聞では、なぜこの記事を選んだのか、好きなように好きなことを好きなだけ話せるのです。それを反対したり反論したり議論することは無いのです。

 自分はこう思った。自分の考えを、話せること。遮られることも話の腰を折られることもなく、最初から最後まで話せる。そして、みんなが、話を聞いてくれる。怒られたり批判や非難されることもない。共感してくれる人が一人でもいれば、嬉しいことでしょう。
 話しても良いんだ、という満足感を得て初めて、人の話を聞くことができ、人のために、どう伝えればよいのか、どう質問すればよいのかなど考えたり工夫できるのかもしれません。

 自分に満足して、そして、他者に興味を持ち、他者と関わる。
相手は、なぜ、これに興味を持ったのか。考え方を聞き、人となりを知り、参加者同士で共話し交流していく。これに慣れていくと、多様な考え方や行動、アイディアにも寛容になることでしょう。

 新聞は、情報を知るためのツールです。
その新聞を使って、自身の考えを発表し、自分を知ってもらい、他者を知り、コミュニケーションをとる、交流できるツールになっているのが、「まわしよみ新聞」の素晴らしさだと感じます。

 しかも、紙面という限られた大きさ、制限、制約の中で、得た情報をどう他者に見せるか、情報を編集する力も試されます。

 インターネットは、多種多様な大量の情報の海のようなものです。
人は、自分の興味のある、ほんの一部しか見ていません。
偏った世界であり、実は、興味のある世界から全く広がっていないのです。

 しかし新聞は、最初から経済、社会、社説、スポーツ、文化、芸能、料理に四コマ漫画と、様々な分野が載っており、総覧性に優れています。新聞から選ぶことで、自分の興味のある世界が広がっていくのです。

 最後に。きわめて「新聞」という「文字ばかりの言語的」なものを用いて「ノンバーバル/非言語な共同体験」をするのが「まわしよみ新聞」です。

みんなで一緒に「まわしよみ新聞」をつくった、完成させたという共同体験

これこそが、まわしよみ新聞が生み出す数々の宝物でしょう。

 日本のこども達が、自分の考え、意見をきちんと発言できること。
他者の考え、意見をきちんと聞けること。
ひとりひとりが違いを、差を、個性を大切に尊重し、共に話し交流できる社会であること。日本全体がその環境にあり受け入れられる多様性に寛容な社会であること。そんな場所であり、存在であり、社会でありたい。
そんなイメージが、浮かびました。

著者の陸奥賢さん、ありがとうございました!

陸奥賢さん サイト  http://mutsu-satoshi.com/

陸奥賢さん ツイッター  https://twitter.com/mutsukyoukai