「流しなさい流れなさい」
あなたのところに、いろんなものが集まってくる。あなたは排水溝で詰まっちゃってる。もう、いい加減、あなたが、今度は皆に与える、出す番ですよ

何年も前に占い師さんに言われて、意味が分かりませんでした。最近、ちょっとわかったような気になっています。

無条件ですべての人を許し愛するって、なかなか出来ませんよね?
難しいのではないでしょうか。でも、ちょっとだけですけど、なんとなくですけど、出来るような気がしてきました。まずは、自分を・・・です。

まったり・のんびり・ぽ~よぽよ♪ ノマドワーカーな温泉ソムリエちよ子が、ぽてぽて♪ 書きまーす。

流れる雲を見るように他人を静観しよう

インバウンド旅で、旦那さんと一緒に行動をしてて、「楽しくない」「つまらない」「こんなのやだ」「もう無理」「大事にされてない」「自分がやりたいだけなんでしょ」と不平不満が噴出して悶々としていました。(心の中で。面と向かって言ってません)

これは、便秘気味で体調的に疲労、疲弊していたから、余計、不安定、ネガティブになりがちだったというのもありますが、ある時、ふっと

・目の前の人がどんな言葉を話したとしても、どんな行動をしたとしても、流れる雲を見るように無心で観よう
と思い立ちました。

どうしても、人は「あいつが嫌だ」「相手が悪い」「相手が変わるべきだ」と相手を否定非難しがちです。
しかし、気づいてしまったんです。

・楽しくない、つならない、こんなのやだっていう気持ちって、わたしの心が、わたしに言ってるのではないのか?
愕然としました。

旦那さんは、旦那さんか考えた上で最善の行動をとっているに過ぎない。できること、やれることをやっているだけなんですね。ここに好き嫌いの違いや差があるのは、当然なのです。大事なのは、目的があって、理由があって、根拠があって、彼の中の「最適」が行動になっているのです。そこを「理解しよう」と歩み寄りをしないまま「自分が楽しい思う通りに行かないから不満だ」と拗ねているだけなんですね。

まずは、
・他人に対して変われと関与、強制することは出来ない。と理解する。

流れる雲を相手に「とまれ!千切れるな!戻れ!」と言っても無駄ですね。他人の人生、考え方は他人のもの。あなたが、どうこうすることは出来ません。人は与えられたからだと命、能力を活かして、それぞれが生きています。

・他人には、他人の性格があり、各自が人生を全うすべく生きているに過ぎない
他人は、自身の「納得のいく」「最適」で「自然な選択と行動」をしているだけであり、それらは「本人にとっては息をするのと同じくらい自然なこと」であると理解し、それら個性が尊重され発揮されると、人は輝く
ということを理解します。

他人の信じられない、怒りしかわかないような、考えられない行為、言動があったとしても。
それを勝手に分析したり曖昧なまま意味をこじつけしたり決めつけたりせず、ただただ、流れる雲を見るように、「こうなんだ」「そうなんだ」と無心で観る。流すこと。

自分にとって「大事だ」「重要だ」「大切だ」と思うことだけ、抽出して、より観察したり、考察したり、見習ったり、自分も真似てみる、生活に取り入れてみる、実験してみればいいのです。

自分にとって「不快だ」「不安になる」「心配になる」「嫌な気持ちしかしない」ものは、「どうして、ああなんだろう」「どうすれば、変わるだろう」「こうすればいいのに」などと余計なことは

考えない、思わない、無視!!!!

流れる雲のように、流してしまいましょう。
心にも、脳にも、残さない、流し切りましょう。
気持ちや心、体力を使わないことです。奪われないことです。自分が心地よく、気持ちよく、快適で、自然体で健やかでいられることを、考えたり、思ったり、感じたり、行動する時間にあてましょう。

推測して思いやることも大切だけど、「何に意味を持たせて大切に扱うか」は自分で選べるんです。命も時間も有限ですから。自分が貴重で大切で嬉しくて喜べるものに時間を費やしたいです。

こうすることで、他人がどんな行動をしても
・そんなに深く考えないし気にならなくなります
・他人の行動で感情が揺れたり荒れたりしません影響を受けません
・そういう人もいるんだなという観察にはなるが、すぐ忘れます
・自分はそうならないという良い参考になります

雲が流れるのを見るとき、意味など考えたりしません。
ああだからこうだから、分析などしませんね。そうなったから、そうなった。人も同じじゃないでしょうか。そうしたいから、そうしてるんです。それが自然で、心地よいんです、好きにやらせれば、いいんです。

自分は違うのであれば違う選択をして実行に移せば良いのです。
誰がなんと言おうとも揺れない影響を受けない自分を信じる己を生きると決めるんです。
人は流れる雲と思え。風に任せて吹かれて形変えれば良い。

同時に縁あって一緒になった人を死ぬのを見届けるまで、愛情を持って接する日々の心の鍛錬とすればよいのではないか。心から人の気持ちに寄り添える思いやりを発露すること。何より自心を愛すること。心の声を殺してはならない。頑張るのではなく、自分を活かして自然でと。渡月橋の川の激しい流れの中にいる白い鳥にガン見されて言われる夢を見ました!!!
長い!コワッ(゚∀゚)

他人とのコミュニケーション8割は伝わって無いと思うと楽

さて、他人の行動を見て感情的に反応する、一喜一憂、右往左往しなくなったとしても、話が通じないというか、こう言ってるけど行動が違うなど理解できず、思うようなコミュニケーションが取れないことも多いです。

基本的に。
同じ日本語を話してる日本人同士でも、「話しのうちの8割は理解していない」と思うと楽ですよ。
一度言っただけで伝わると思うな。何度でも言え。理解されてなかったら、違う伝え方をする事。逆に言えば、2割伝わっていれば御の字*

家族でも、そうです。
親なのに、子どもなのに。何考えてるか、わからない。言っても聞かない。話してもわからない。意味が通じないということがあります。怒鳴ったり怒鳴られたり悲しくなったり暴力をふるったりなんてことにも発展する場合もあるでしょう。

同じ日本語を話していても、言葉ひとつを、どう理解して、どう解釈しているかって、話した本人と訊かされた本人が、100パーセント理解しあって通じていることは無い と思った方が気が楽です。

言葉は、話された瞬間に、話した相手から離れて、聞き取った相手の脳で過去と紐づけされて変換されるからです。
ここに「各個人の余計な解釈」が多大に入るから、厄介なのです。
これが「各個人の生き方、生育環境、考え方、性格から来る色合い」が重なり合い、連想ゲームじゃないですけど、段々だんだん、違う解釈に変化していくのです。

ですから
・夫婦であっても、家族であっても、日本人同士であっても。
相手の性格、個性、考え方などに応じて、自分が理解できる納得できる話し方ではなく、相手が理解できる相手が納得できる話し方で伝えないと、コミュニケーションが円滑にいかない
ということを気づきました。

だからこそ
・話し合わないと、どんな人なのか、どんな考えなのか、わからないし、伝わらない
のです。
・普段言ってるけど、やってくれない
場合は
・相手が違う解釈をしている可能性が高い
ので、
・相手がどう理解しているか確認する必要がありますし、違っていたら、こうなんだよと相手がわかるように伝える時間と手間を惜しまないこと。

何より
・相手と向き合うと決める
ことです。
それには、
・相手の考え方、生き方を知ること
・相手の性格、人格を尊重すること

・相手の自然、最適を尊重し、相手が納得いく理解できる話し方、伝え方でコミュニケーションをとる
には、
・相手のどんなところも、否定せずに無条件に受け入れる
しか、無いのだなと気づきました。

最近では、
・この人にとっては、これが最善で最適で自然なら良いのではないか
という思いで話しを聞いたり見ていると、
不満とか不安より「面白い人だな」という気持ちや「やりたいなら、やってみな!」と応援したくなるような気持ちになります。見守る、見届けたい気持ちになる、愛着、愛情が湧くというかね。

昔は、いろいろ言いたくなることもありましたが、最近では「この人は、どんな人なんだろう?どういう考え方なんだろう?」と本人の言葉を聞き出したくなりますね。

自分の真意から逃げずに向き合う=相手と向き合うこと!

相手の言葉、考え方、人間性を尊重しようという気持ち、行為は、同時に
・どんな自分も、自分であると無条件に受け入れる
に繋がります。

インバウンドの旅で、旦那さんの無茶なスケジュール、工程に「つまらない」「楽しくない」「一緒に居るのもヤダ」「こんなのヤダ」果ては「自分は大事にされていいないのではないか」とまで、不満たらたらでしたが、

・これって、自分が自分に対しての言葉、思いなんじゃない?!
と気づいて愕然としたのですよ!!!

そうだったんです。
自分の気持ちを言わない、伝えない。黙って押し殺して、自分の気持ちに蓋をして無視して放置していたんです。
だから、自分の本音、真意が「あたしを、もっと大事にしてよ!つまんないよ!楽しくないよ!こんなのヤダよ!!!」ってブチ切れてたわけです。気が付いたら、もう苦笑しか無いですね~~~。。。(汗汗;)

旦那さんは何も悪くない。
彼なりに考えて、妻の体調や顔色、機嫌に応じてプランを変えたり気を遣ってくれているのだ。愛されている、大事にされてる、いい旦那さんでは無いか。

自分を大事にしていない、大切にしていない、愛していないのは自分だった。自分の気持ち、声に耳を傾け、寄り添い、聞き入れていなかった、無視して放置していたのは自分だった。

自分の声に気づくこと、本音、真意を知ること、寄り添うこと。
どんな自分も無条件に受け入れ、共有し、受容し、寛容し、一緒になる、ひとつになって「これも自分だ大丈夫一緒に生きていこう」と愛する。

そして「常に自分の真意が選ぶ新しい選択と行動で自分の人生を創造していく」ことを、自分で体験し経験し積み重ねて、人に言えるようになりたいと思いました。

こうしたい、ああしたい、いろんな欲望や希望があります。これをひとつひとつ果たして形にするには、
・自分の真意から逃げない目を反らさない
・旦那さんと向き合うと決める
そう決意して
・旦那さんが理解できる言葉、伝え方で、旦那さんと話し合う
しか、ありませんね。

自信と仕事と価値観

仕事に対する価値観、お金に対する否定的な感情など、いろいろ皆さんあると思います。

ちよ子の場合は
・お金に苦労することは無いという楽観的
なのに対し
・旦那さんが親御さんがお金で苦労してきているのでお金は節約して使わなければいけない
・貧乏である、お金は大事に使わなければなくなってしまう
という意識があり、ちょっと~~~~と思うところはありますが、

それよりも
・自分は誰にどんな何を提供して、どんな価値があって、どんな対価をいただけるのか
・これで喜んでいただけるのか
・お金をいただいてよいのか
という不安、心配が多くありました。

いろんなスピリチュアルな仕組みの本やブログや動画を見たりしましたが
・自分の考え方、在り方、生き方
だなと感じると同時に

・お金に余計な思い込みが多すぎるので、外して、シンプルに道具であると理解し、お金を使う、いただく、与えることで、喜びや潤いを循環させるものであると理解する途中
であります。
まだ完全ではありません。証拠に、まだ、どうやったら、お金を皆さんからいただけるのか、何を与えたらよいのか、よくわかっていないからです。

最近、ちょこっとずつですが
・憧れる他者、人気の何者かになろうとするのではなく、自分という人間性を尊重し、活かして、自分だから出来ることを、楽に人様に与えられることを自然にしていけばいいのではないか
と思うように至ります。

これは
・自分という人間性、人格、どんな自分も受け入れ、共有、受容し、寛容する、愛することができたら、「じゃあ、どうする?」「どうしたい?」と考えられる仕組みかなと感じます。

どんな自分も受容、共有、寛容しているので
・自分が好きでやってる、または得意で自然に出来ることなので負担や負荷が無く、やることに価値が無いとは思わない
ですし
・自分がやりたいから、出来るからやっていることに対して、自信がないなんてことも思わない
のではないかな?と。。。

すなわち
・自分という人間、個性だから、自然に楽にできること=仕事
になったら、楽だろうなと思います。

頑張らない。無理しないのです。
考えて工夫する、向上させる、勉強して能力を上げることと「頑張る」のは違いますよ。
無理して頑張るのは「自然」が「不自然」になって、本人も相手にも余計な影響を及ぼしてしまうのです。頑なに張ることなく、誰が見ていなくても、誰も見ていない場所でも、黙々と、静々と淡々と平静に鍛錬する感じかな?それが苦なく出来ちゃうことなら、天職だと思う!!!もっともっと「良いもの」を見せたい、喜ばせたい、伝えたい、笑顔になってもらいたいって思えるから!!!

自分はこれが出来る人間だと自分を受け入れ、自分を信じていて、自分を愛しているから、出来ること。
それが仕事で、相手の方に喜んでいただけたら、ほんんとうに「幸い」です。

まとめ。
自分にとって「仕事」って何なのか、まだよくわかっていませんが
・それぞれの場所で、役割に応じて役に成りきって、皆さんに楽しんで喜んで寛いでもらいたい。
そんな時間や場所、イベントを提供したり、文章で発信したり、対面で人に与えられたら。

人と交流すること=コミュニケーション=生きる喜び
を与えられる人間になります。

ちよ子は、あなたに喜んでもらえたら嬉しいのです。
「面白かった」「楽しかった」「スッキリした」あなたが笑ってくれたら、嬉しい。
それが、ちよ子の、生き甲斐。生きる価値、意味。

追記
はじめに、自分が自分の心を笑顔にすること、満たすこと。次に、旦那さんを笑顔にすることかな!

▼【Co・Yo・Mi(コヨミ)あなたの心と共に】目次

【Co・Yo・Mi(コヨミ)あなたの心と共に】目次

▼関連記事

【Co・Yo・Mi(コヨミ)あなたの心と共に】真意とか寛容とか創造とかCoYoMiって何?

【Co・Yo・Mi(コヨミ)あなたの心と共に】まずは自分と向き合うことからスタート!

【Co・Yo・Mi(コヨミ)あなたの心と共に】気持ちのアゲ方と、自身のからだを整えること