人は、自分が信じている世界で生きています。
あなたも、あなたの信じる世界で、生きればいいのです。

まったり・のんびり・ぽ~よぽよ♪ ノマドワーカーな温泉ソムリエちよ子が、ぽてぽて♪ 書いてまーす。

笑顔になると嬉しいと気づきました

昨年末からのメモ紙の山が増えました。
読んでいるブログで気になったことや、法則とか、ためになること、思ったこと、浮かんだことなどです。以前は、お気に入りのノートや手帳を買って書いてましたが、出歩くことが増えて荷物を最小限にするようになってから、持ち歩かなくなり使わなくなってしまいました。

それでメモ書きだけが増え、整理してノートに清書したくても時間が無く。都市湯治の日にやろうと思って一式持参し、やっと少しだけ集中できました。
一度やって気持ち良かったようです。早く終わらせたくて、毎日、晩酌の後の寝る前の少しの時間に集中し、この数日で書き終え、自分の考えの整理整頓ができました。

そして今朝、目が覚めて、「人と会って話すこと」という言葉が浮かびました。人と会って話す。とても楽しいです。同時に「自分は、目の前の人が笑ってくれたら、嬉しいんだな」と気づきました。

よく、仕事で「わかりやすく記憶に残る覚えてもらいやすい言ったもん勝ちのオリジナリティ溢れる肩書が必要」みたいなことを聞きますよね?この肩書の効果は絶大です。

ちよ子の場合、いくつかあります。
温泉ソムリエ/コワーキングスペース巡りをするノマドワーカー/メイドカフェでノマド会ライター/メイドさんを勝手に応援するメイドのお母さん(ママ)
このうちひとつでも「それ、いい*」と興味を持ってくださる方は必ずいらっしゃって、その話で盛り上がれます。

しかし肩書よりも「自分はどういう人間で、何の為に活動しているのか」という芯をしっかりしたいと思ってきました。
それが、固まりつつあるのでまとめています。

昔のちよ子は、人づきあいが苦手でした。
「誰とでも話せて明るく積極的で羨ましい」とよく言われますが、努力しているだけです。自分を奮い立たせて「明るく」「どんどん話しかけて」いるだけです。それなのに、なぜ、「人と会って話すと楽しい」となったのでしょう?

子ども時代「嫌われたくなかった」

子ども時代、無口で喋らない子でした。
とにかく母が怒ってばかりで怖くて大嫌いで「鬼ババア」と心の中で呼んでいました。口答えもせず、ただ黙って嵐が去るのを待っていました。

自分の気持ちを母に伝えることは、ありませんでした。
どうせ何を言っても気に入らないと怒るから。言っても無駄だから。だから、自分のことなのに考えるのを止めてしまったんです。

無気力で無頓着でぼんやりしてて、しょっちゅう転んだり階段から落っこちてばかりでした。寝坊、遅刻、忘れ物も多い。勉強も運動も出来ない。ハキハキしていない、オドオドしている。発言しない。
母は水商売で働いていて夜家におらず、父もトラック運転手で、ほとんど家にいませんでした。完全なかぎっ子。面倒だから、家でご飯も食べたり食べなかったり。お風呂も入らないことが多く、服もメンドクサくて着替えないので「臭い」から、小学校は、格好の的で、いじめられましたね。

中学生になって、さすがに「これはマズい」と清潔にするようにして、なんとか「いじめられないように」してみますが、小学校時代にまともに同級生と話したりしてませんから、普通のコミュニケーションが取れません。
「嫌われたくない」「怒らせたくない」という気持ちで話すから、しらじらしかったり、わざとらしかったり嘘ついたり異様に不自然だったんでしょうね。すぐに、いじめられました。

母に怒られてばかりで「怒られたくない」という気持ちと「自分は生きてても価値が無い人間だ」とうっすら思っており。母から嫌われていると思っていたのかもしれません?
母のことは嫌っているのに。学校では自分は人から嫌われたくないという心理がありました。
だから「イヤだ」って言えなかった。
だから、いじめられ続けました。
嫌われたくないだけだったのに。
自分が母を嫌っていたし、自分のことも嫌いだったから、他人から嫌われる。自業自得だったんです。

若者時代「距離感がとれなかった」

女子高時代。いじめられていた自分を知っている人はひとりもいない、中学時代の唯一の親友と一緒だったこともあり、やっとのびのびと「素の自分」でいられました。天国でした。暢気で陽気でひょうきんな部分全開で、とにかく毎日笑ってばかり楽しい高校生活でした。

しかし社会人、大人になってから。
友達のサイクルは早かったです。すぐ仲良くなっても、暫くすると去られてしまう。距離感が掴めなくて、怒らせてしまい、喧嘩になって相手が切れてサヨナラなど、途中でぷっつり切れることが多かったです。

それは、やはり根底には「嫌われたくない」のと「自分の気持ちを正直に相手に伝えられない」から。
また、相手の相談に乗ったりして、アドバイスしても言うことを聞かないので「心配して損した」と不快になることも多く、お互いがストレスを抱えたのでしょう。

結局のところ、人づきあいは苦手で「人は何考えてるか、よくわからない」し「自分のことも誰もわかってくれはしない」と思っていました。

30才くらいの時、仲良くしていたはずの女性が、急に目の前で怒り出して不快な態度をとられ、とても悲しい思いをして、すごく落ち込みました。「人って怖いな」とショックも大きかったです。
その時は、「あてにしていたのに断ったから手のひら返して本性見せたんだよ」とかずくんに言われましたが。どうも、ちよ子は、人を「その気にさせてしまう、イイ話、いい返事をしてしまいがち」なところがありました。これも「嫌われたくないから」でしょう。

それから5年くらいして、仲良くしていた大人の男性に目の前で喧嘩を吹っ掛けられ、怖くてブルブル震えましたが、なんとか冷静を装い、謝るところは謝りつつ、言いたいことだけは言おうと、こちらの言い分を伝えると「あ、そういうことなの」と落ち着きましたが。「ごめんなさい」と謝られましたが、それで終わりになりました。怒られるのは苦手なのです怖いのです。でも、泣いて落ち込んでショックを受けたころに比べれば、冷静に言いたいことだけは言えたので成長したかなとは思っていました。
でも「嫌われたくない」ままでした。

母との関係性「無関心ほど悲しいものはない」

ところで、母との関係ですが、象徴的な出来事があります。

中学で部活に入るのに「美術部に入りたかった」のに「卓球部に入れ」と言われ、何も言わず無視してました。
この時点で「そんなの、いやだ」「美術部に入りたい」と言えばいいのに何も言わなかった。
だから、後日、親の承諾書が必要で、渡したときに、やっと「美術部に入りたい」と告げると
「お前、卓球部に入るって言ったじゃないか、嘘つき!お前なんか部活やるな!すぐ帰ってこい!」と怒られ、大泣きして終わりでした。

もう絶対、母なんか大嫌いで、憎んでました。
一刻も早く家を出ることしか考えてませんでした。
独り暮らしして自由になりたい。その為だけに就職したようなものです。

父は帰ってくると、テレビを見て酒に酔って寝て終わりです。
母は友達がいませんから、父と話したくて、話を聞いてもらいたくて、機関銃のように喋ります。しかし父は無視して「うるさい!」「黙れ!」「静かにしろ!」と怒鳴るだけで、母の話を聞きませんでした。

その為、母は、娘の私を相手に酒を飲んで酔っ払うことが多く、子ども心にイヤで嫌でたまりませんでした。決まって「あの時、あの男と一緒になっていれば、、、」「お父さんはすぐ仕事を変える。また借金が増える」「お前はいうコト聞かないし怒らせてばっかだし」「人生間違えた。こんなはずじゃなかった」と、しょっちゅう愚痴って最後は泣く始末。

怒ってばかり、酒飲んで酔って愚痴って泣いてばかりの母。大嫌いでした。こんな女にだけはならない。憎しみしかなかったと思います。

そんな母が、ある時、ふと、
「お前が、何を考えているか、わからない」と真顔で言い
「お前、あたしが、どんな人間か、わかるか?!」とイキナリ聞いてきました。
「お母さんが、どんな性格か、言ってみろ!何が好きで何が嫌いか言ってみろ!」

目が血走ってて怖かったのを覚えています。
それだけ、何だか追い詰められて、いつもと違う感じでしたが、母親として「子どもからの愛情を感じられない」ことに気づいてしまったのかもしれません。

後日、旦那さんに「無関心ほど恐ろしいものは無いから。まだ嫌われた方がまし」と言われたことがあって、このことを、うっすら思い出したものです。

母を救えませんでした

19才で一人暮らしできるようになった頃、荷物を取りに帰ると、母が「一緒に死のう。生きてても何も良いコトなんかない」と言ってきました。さすがに動揺しました。

なぜか、背後に、グオー!っという炎が見え、自分が火をつけて、このアパートが燃えて焼け野原になり、母が死に、自分が刑務所に入るという光景が走馬灯のように見えました。やけに長く感じ、無心でそうなりそうな余暇までありましたが、当時、初めて交際した彼氏の顔が浮かんでハッとしました。

「やだよ!死にたくないよ!なんでそんなこと言うの?!」

初めて「いやだ」と口にしました。

母は「・・・そうだな、ごめんな」と言って出ていきました。

その後、母は病気になり入院して、以後、退院していません。
ずっとずっと、同じ世界を繰り返しています。同じことを言い続け、同じことに恐れ、同じことに嘆き、同じことを味わい続けている。。。それは地獄なのでないか?家族は絶望しました。我が家は崩壊したと思いました。これで生きていると言えるのか?あの時、一緒に死んでいた方が良かったのではないのか?わかりません。
ただそれでも、たまに正気になって、まともな会話ができる時があります。そんな時、母は、笑うのです。あんなに怒っていた母が、笑っている。お互い年をとっても母娘です。愛しい愛しい、この世で一人だけの、わたしを産んでくれた育ててくれた、かけがえのない母が、目の前で笑顔でいる。涙が出るほど嬉しく幸せで母が大好きになります。

もっと早く、母に母として、娘らしい接し方をしてやれなかった親不孝な自分を…責めてきました。
父も同じだったでしょう。母を孤独にし、病気にしてしまった後悔と無念。家族は、母親という十字架を背負って生きるしかありませんでした。
それでも、お互い年を取り、思うのは、やはり、「生きててよかった」です。
自分自身も、です。

人から学び自分が広がっていきます

20代後半の時は。
母がSOSを出していたのに、気づいてやれなかった自分に愕然として、母に申し訳なく、自分を責めていました。

30代の時は。
それでも、命を絶たなくて、罪を犯さなくて、良かったのかもしれない?生きてくれてるだけでもありがたいとも思えるようになりました。

40代の今は。
あの時、「いやだ」までは良いにして。
「どうした?なにかあった?」と、なぜ、寄り添ってあげられなかったか。
話しを聞いてあげられなかったか、一緒に居てあげなかったか。
悔やんでなりませんし、「寄り添う」という言葉や考えが浮かぶようになったのも40代になってからです。

寄り添うとか、話を聞くという母娘のコミュニケーションを、私達はしていなかったんですね。
そのことに気づいてから。
母が嫌いだったのが薄れ、愛しい気持ちが湧いてきて、感謝できるようになり。
自分も嫌いだったのが薄れ、自分がこの世に生きてるだけでも充分ありがたいと思えるようになり。

今は、
他人から嫌われてもいいやと思えるようになりました。
人から怒られても構わないとも思えるようになりました。

自分の人生を生きよう、自分の気持ちに正直になろうと人生を考え直した30才以後。

アートの取材レポートを書いて、たくさんの方に喜ばれました。
ありがとうと笑顔になってもらえたこと、とても嬉しかった。
それは、「怒られてばかりの、いじめられて、ダメダメな価値のない自分」にとっては、「認められた」最高の喜びでした。生き甲斐でした。

今でも、コワーキングスペース巡りの旅の記事も同様です。
ただ、最近、少し変わって来ていて。

「自分も楽しい、相手に喜んでもらえたら嬉しい。ただ、どう思われようとも相手の世界だから、お任せで、構わない。興味のない方もいるし嫌う方もいて当然で、それが自然である」と思えるようになりました。

なので「これからも、何をやってもいい」ような気がしてきました。
そして何をやっていたとしても「人間性を大事にしよう」と思っています。
それは、相手にもそうで、相手の人間性、世界を、命を尊重することを意識しています。

人は、それぞれ、自分の世界を生きています。
自分が信じるものを大切に抱えて、自分の生涯を全うしようと、己を磨き学び取り組んでいる、誰もが旅の途中です。

他人を変えることは、出来ません。
しかし、自分の見方や考え方を変えたり広げることは幾らでも出来るんです。
他人がいるから、いろんなことを経験して、感情を味わえます。
他人がいるから、自分がどんなことに反応するのか、どんな人間なのかがわかる。自分と言う人間をありありと感じ、自分はどう生きるのか考えることができます。他人と言う存在を通して、自分が自身に気づき、学びを深めているのです。

自分の世界は、自分でいかようにも変えられる。
人の世界は、その人が主人公。あなたも同じ。人生の主役は、尊い命の、あなただけ。

人の話を聞くって、互いに生きているってこと

いじめられていた自分。母を病気にしてしまった親不孝者の自分を責めて嫌いでしたが、今は、違います。
生きててよかったと思えるし、こんな自分でも大切にしてくれる、愛してくれる人がいます。

愛してくれる、愛する人がいるから、自分も自分を大切にして、自分を満たしていきます。
いやなものはいやといい、自分が望むことを自分に与え、自身を喜ばし、経験できることに感謝して生きていきます。

母は、とにかく話し相手がいなくて、心が寂しかった、飢えていたんだと思います。だから、自分も責めて人も責めて、闇にはまって抜け出せなくなってしまった。

「もっと母の話を聞いてやればよかった」
今となっては叶えられない願いです。

重くなる前に、深刻になる前に、軽いうちに、もっと気軽に話せたら。。。
とにかく抱え込まないこと、背負わないこと。

ちよ子は、占い師でもないしカウンセラーでもないしセラピストでもないので、人の悩みをどうこうすることは出来ません。

ただ、母への償いもあって、その反動でしょうか。
ひょきんで陽気な部分を活かして、「笑って人の話を聞いてあげること」ならできます。
応援したりエールを送る励まし、元気を出させることも得意です。
なにせ「その気にさせるのが上手」ですから。
笑顔になってもらいたい。という思いは、これからもずっと持ち続けるでしょう。

本人が、自分で「自分はどうしたいのか」に気づけたら、話は早いんです。

嫌われないように努力すること、あなたを嫌う人のことをあれこれ考えるより。
あなたを愛してくれる大事にしてくれる人と楽しい時間を過ごす。
愛しい相手に笑顔になってもらいたいから
自分も笑顔で生きようって思うようになりました。

生きているから、相手と話せます。
相手の話が聞けて、自分の意見を相手に伝えることも出来ます。
世の中には、まだまだ知らない、いろんな面白い人が、いっぱい、います。どんどん会いに行きたいです。
会って話すとき、相手の人間性、何を大切にして、何が言いたいのかなど、尊重します。
そして、相手の世界には踏み込みません。汚しません。
相手の話だけを聞いて推測して、相手を観察しながら、キャッチボールのように、取りやすい返しやすいところに返せるよう返す言葉など考え配慮しつつ会話をしますが、結構忘れて、ただ相手の話を楽しんで聞くことが多く(笑)かなり新鮮で勉強になってます!
どうしたらこうしたらじゃなく、純粋に相手の話を聞いてると結構楽しいんです。アート取材の時も楽しかったですが、コワーキングスペース巡りや、それぞれ参加しているイベントでも、とても楽しく充実しています。

人付き合いが上手になったかどうかはわかりませんが変な気負いはなくなりました。「人が何考えてるか、実のところは、わからない」からこそ、「相手の話を聞くこと」や「こうなのかな?と思いやり配慮したり察したり」「見守ること」「応援すること」が大事だと思います。曖昧な憶測で思い込んだり決めつけたりせず、「これって、どういうこと?」と率直に質問して確認して聞き出すことも大事でしょう。
そして他人にわかってもらおうというより「自分で自分の心の声をきちんと聴くこと、自分と向き合うこと」をしていれば、そんなに気にならなくなりますね。また、どう思われてもいいと思えるようになったので、自分の意見を素直に言えるようにもなって来てると感じます。

会いたい人に会って、お話ししましょう。
あなたに会いたいお話ししたいって、言われる人になりたいです。

どんな自分も自分であると共有し、受容する。
「自分の真意」に気づき、寄り添い、共に一緒に生きる「寛容する」こと。
こうなる、こうすると考え、決める、行動することで「自分の人生を自分で創造」していくこと。
日々、実践中でございます。

▼【Co・Yo・Mi(コヨミ)あなたの心と共に】目次

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