私と私の母を知っている友達の皆さんへ。

2017/4/15土曜日
母のお見舞いに行きました。2回目です。先月の春のお彼岸の時に、今のうちなら意識があるからという状態で先生に言われて、家族皆でお見舞いに行って以来。その時は5年ぶりくらいに会って危篤ということもあり、もう泣いて泣いて言葉になら無いくらい涙流して、満足に言葉かけられなかった。2日前に妹が行ってきて、元気で一時間くらい話したと聞いてたので、安心して行けました。

実際に母は元気そうで、酸素吸入と尿管、点滴はそのままでしたが、行ったら両手で抱きしめてくれました。手もいっぱい握りました。いっぱい、いっぱい、お話できました。
とは言っても、詳しい容態について、妹から聞いた先生の話は、手放しで喜べる状態ではありませんでした。薬が効いて肺にたまった水も抜けて、足の浮腫も落ち着いたものの、血栓がいつまたできるかもしれず、腎臓はひとつしか機能してなくて、それも弱いので、これ以上良くなることはなく。突然死の危険は無くなったけれども、確実に機能が低下していくことは避けられず。

「今は、悪くなる前の一時的に落ち着いている状態だと思います」

それでも、母と笑顔で会えて良かった。
長女の私については何も覚えてないらしい。次女の妹のことと直前に住んでた家だけ覚えてると話してくれた。

かずくんの提案で、私が前回のお見舞いでプレゼントしたヨギボーのぬいぐるみ、すごく気に入ってくれてベッドで一緒にいてくれた。笑顔がいいねって、ふにふに触ってくれてた。嬉しい。あなたは笑顔がいい、喜怒哀楽ハッキリしてるね。妹の方が黙って我慢してるかななんて話してくれて驚いた。でもヨギボー に私と妹の名前をつけて呼んでくれてて嬉しかった。

親心なのか、仕事はしてるのか毎月いくらお給料もらってるのか聞いてきたので、旦那さんのお給料で食べさせてもらってるよと伝えたら安心したのか笑ってた。

車の運転も訊かれたので、旦那さんが運転して、自分は免許持ってないよと答えると、じゃあどこそこ連れてってって言わないと連れてってもらえないねと言われた❗️ ので、そんなことないよ。仕事であちこちいっぱい連れてってもらってるから、もう充分だよと伝えた。

スマホで一緒に写真を撮って見せたら、随分おばあちゃんになっちゃったって驚いてた。自分の顔も、もう長い間見てないらしい。

スマホで桜の写真見せて、草柳両親の写真も見せた。83歳と85歳だよと言うと驚いてたから、草柳両親に、お母さん66歳で若くていいわねって言われたよ、80代から見たら60代は若いんだって!と伝えたら笑っていた。

私の描いた絵も少し見てもらった。
いっぱい描いたね懐かしいと言われた。これいいねえと言われた絵は、私も気に入ってる絵♪
これはお母さんだよと伝えたら、わたし眼鏡かけてたねと思い出したようだ。眼鏡も入れ歯も補聴器もあったのに病院が変わってから、外しっぱなしらしい。でも、なんとか会話ができるからありがたい。

いっぱい話したけど、名残惜しくて帰りたくない。何度もじゃあまた来るねって手を握っては、また話したりして、、、。結局また少し涙ぐんだりしちゃった。

もう長いことお風呂に入ってないから入りたいって言って辛かった。尿管が取れて、自分で歩いてトイレに行けるようになったら、シャワーからでも浴びれるようになるよって元気づけるしか無かった。

産んだだけで何にもしてやれなくてごめんなと言う母に、そんなことないよ、わたしと妹、ふたり産んで育ててくれてありがとう大好きだよってちゃんと伝えれた。お父さん、お母さん、長女と次女、みんな家族一緒だからねって伝えることができた。お父さんとは、もう離れてるから、世話してやれないから、たまには会ってあげてと母が言うとは思ってなかったので、また涙。

母と2人っきりで話してる間に、さっきスマホで撮った写真をコンビニでプリントアウトして100円ショップでフォトフレームに入れて持ってきてくれた、かずくん❗️

母は嬉しそうだった。喜んでくれた。さっき撮った写真だよ、印刷して立てられるよと見せたら笑顔だった。良かった。かずくんありがとう。母にプレゼントできた。

また来るねって笑って手を振って病室を後にした。また来月会いに行きたい。会いに行く。わたしの大好きな愛するお母さん。

おまけ。
これは、病院の入口にある彫刻。
前回、初めて来た時は、それどころじゃなくて全然、こんなのあるの気づかなかった。
こんな彫刻があったとは・・・。わたしの好きな羊なので、少し嬉しい。

ひつじの彫刻 #sheep #sculpture #oneday #memories #today #japan #medicine

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追記)
お見舞いの後、父に会わないで成田に向かったら(翌日、成田山のイベントに参加するため、前日、成田のネットカフェに泊まりたかった。成田空港がある関係でスグ埋まってしまうので、8時には入りたかったから)しのぶさんから「お父さんが寂しがってるよ」とLINEが来た。そうだよね。わたしも会いたいよ。というか、お父さんの手料理食べたい。黒霧島一緒に飲んで、ただ、話したい。今度はゆっくり会おうね。わたしの大好きな愛するお父さん。


追記 3月のちよ子logより転載
3/19
母にプレゼント

母は10年以上入院している。
母とは5年くらい会っていない。毎月1回、父が面会に行っている。一時はだいぶ元気で、一年に2回、墓参りの時に外出許可を貰って、一緒にお参りし、皆で食事もしたものだ。でも5年くらい前から、持病の糖尿病が悪化し、外出がなかなか出来なくなり、月一回の面会もできたり出来なかったりだったらしい。

今年に入ってから血圧が上がり続け足が浮腫むようになった。2ヶ月、外出も面会も出来ず、血圧200が続いた。先生に父が言われたのは、血管に腫瘍が出来てて、肺を圧迫している。腎臓がひとつ機能していない。いつどうなるかわからない。延命措置はどうしますか?と。。。

その時はまだ、普通に6人部屋で車椅子で過ごしており、父は半信半疑だったが、最後に一言ポツリと先生が言った言葉。

今ならまだ意識があるから元気なうちにご家族皆さん会っておいた方がいい。

この言葉が気になった父から電話が来たのが木曜日。三連休だしお墓参りも兼ねて集まろうと、全員都合がついた日曜日に皆で面会に行くことに。金土と栃木取材だったので、そのまま千葉のネットカフェへ。日曜、墓参りと食事を済ませ、妹家族と父とうちら夫婦7人で病院へ。私は初めて病院に行き、初めての面会になる。

入り口でマスクを買わされ装着して体温を測る。37度以上あると入れない。受付で12歳以下の子供は入れないと言われて待たされたが、父が先生に直談判し無事に全員入れた。

母は個室で酸素マスクとカテーテルを入れられていた。でもすぐに気付いて笑顔になった。

お母さん
すぐ手を握った。暖かかったけど、手の甲が真っ青だった。痩せて小さくなってたが、元気そうだった。耳が遠くなってて補聴器外されてて聞こえなかったようだけど、大きい声で話せば通じた。

小学四年生の姪っ子の名前もすぐ思い出し、妹には大きくなった痩せた?と質問。初めて会う妹旦那さんと甥っ子4歳、かずくんも挨拶。笑顔で話してくれた。初めて会う甥っ子は怖がらず笑顔だった。孫だよ男の子だよと名前を伝える。嬉しそうだった。

私には同じところにいるの?と訊かれたが、涙が溢れて止まらず会話もろくに出来なかった。言葉が出なかった。

これが最後かもしれないと思うと。
最後かもしれないのに・・・。
辛かったら痛かったら先生呼んでねとか、頑張ってとか、皆で来たよとか待ってるからねとか、何にも言葉が出てこなかった。

ただ、ヨギボーショプで買ったハギボーメイトのぬいぐるみを渡した。

これは、かずくんがお母さんにあげたら?痛いときに和らげてくれるかもよって提案してくれたもの。自分たち用に二個買ってあって、触り心地が良くて、赤ちゃんみたいで可愛いのは知ってたから。急遽3つ買った。二つは妹の姪っ子と甥っ子に。残るひとつは母にあげるために。
母の血を受け継いだものが同じぬいぐるみを持っているということ。

母に渡したら、ナニコレ?と不思議そうに笑ってたが、触って気持ち良いよと伝えると、嬉しそうに左手に持って手を上げて、コレもらったよ♪というジェスチャーをしてくれた。笑った顔のハギボーを見て、小さな手を触って、うふふと笑ってくれた。右手は動かないから、動かせる左手で持っててくれてた。言葉はなかったけど、ありがとうってことだと思う。

これで会うのが最後かもしれないのに、目の前に母がいるのに、今なら話せるのに。言葉が出なくて涙流してる私に、母が逆に気を遣って、外はまだ寒いの?と聞いてくれた。寒くないよ暖かいよ、お墓参りして来たよ。桜がもうすぐ咲くねと妹や姪っ子と父が話してた。

桜が咲くまでもつのか。涙が止まらなかった。

時折、咳込んで苦しそうだった。弱弱しく呼吸する姿が痛々しい。
1日1日が早いと母。

話は短くと言われてるので、ここで終わり。10分もいなかったのでは。皆で挨拶して出る。妹はまた来るからねと言ってたが、とても言えなかった。母に、ぬいぐるみを、私達だと思ってねすらも言えなかった。手紙くらい書いて来ればよかった。

ただ最後に手を握って、一緒だよと伝えた。一緒にいるからねという思い。
ほんとは抱きしめたかったけど、出来ないから、肩を触るしかなかったけど。
母はにこにこと笑っていた。
来てくれて、会えて嬉しいという笑顔だった。

私ひとり大泣きしてて、馬鹿泣くなよと父に言われたが、母は自分がもう先が長くないとわかっているようないないようなアッケラカンとした笑顔だった。

病院を出てから、父は、思っていた以上に早く深刻な状態になった母の姿に驚いてた。数日前は車椅子で大部屋だったのに・・・。
でも元気で意識のあるうちに顔見せられて、会えて良かったんじゃないかと皆で話した。私たち家族は、いずれ迎えるであろう母の死を、自然を、受け入れる準備、覚悟ができた時間だった。

母にプレゼントしたぬいぐるみ。
どうか母を見守りください。そばにいてあげてください。
苦しくないように辛くないように。ひとりで寂しくないように。
もう充分、母は痛みと共に生きてきました。
母が楽に天に召されますように。
迷うことなく笑顔で天国に旅立てますように。
神様、どうか母をよろしくお願いします。

お母さん。最後のプレゼントでゴメンね。
私だと思ってね。子供達孫達だと思ってね。お父さんだと思ってね。愛する皆だと思ってね。

お母さんが、とびきり笑顔で、嬉しかった。会えて、良かった。
神様、ありがとうございます。

泣かないで、お母さん66歳の誕生日プレゼントだよおめでとう、今迄ありがとう、大好きだよって笑顔で伝えれば良かった。
出来なかった情けない長女です。

この日は、帰りに蘇我でコスプレ撮影したり、船橋ららぽーとのヨギボーストアで買い物したりして、茨城のネットカフェに移動、宿泊。あいまあいまにずっと涙が出て止まらなかったな。泣いちゃいけない。まだ死んでない。そうだよ、まだまだ長生きするかもしれないじゃん?なに泣いてるのワタシ。でも泣けてくる。その繰り返し。
つくづく情けない。でも母の、あの無垢の笑顔は、ほんとうに、忘れない。ただただ、ありがとう。